永逝

義父が人生の卒業をむかえました。

 

先月家族でお見舞いに行った時にはかなり苦しそうでしたが、

最期の半月ほどは落ち着いた状態で寝ていたそうです。

付き添っていた義母が半月ほど前にアデノウイルス結膜炎になり、

病院の患者にうつらないよう病院に来ることを禁止されてしまい、

着替え等は親戚の方が持って行ってくれていました。

その親戚に病院従事者がいたため「これは無理してでも会わせた方がいい」と判断、

義母も夢見が悪かったとのことで、

それぞれ眼科と病棟の看護師さんにお願いして医師に相談してもらったところ、少しなら、とその日に面会ができることに。

「来たよ、わかる?」と言ったら大きくうなずいたそうです。

 

そしてその日の夜中に他界しました。

 

義父は義母を待っていたのかもしれません。

 

友引が近かったのとお坊さんの都合で当日お通夜、翌日告別式でした。

旦那は夕方どうしても抜けられない仕事があり、お通夜に間に合わないため、私と、バイトを替わってもらえた長男が先に新幹線で愛知県に向かいました。

旦那は仕事が終わり次第車で来ましたが、お通夜には間に合わず……おまけにサイズの小さな冬の喪服を持ってきて、シャツは息子のMサイズを……

なんだか顔が赤いと思ってたら、シャツの首がきつくて苦しかったらしい……やはりとっちらかってたんでしょうか……

 

次男はバイトが替わってもらえず、翌日の告別式に間に合うよう新幹線で来ました。

 

曹洞宗の檀家でしたので、曹洞宗の葬儀でした。

太鼓やシンバルでにぎやかに送り出していただきました。

「みっかなのか」という「三日法要」と「初七日」を一度にまとめたような儀式が本来はお骨になってから執り行われるのですが、これまたお坊さまの都合と告別式と出棺の時間があいていたため、告別式の後におこなわれました。

 

愛知県に住んでいる義兄にはずっとお世話になりっぱなしで、

すべて儀式が終わったあとの心からホッとした様子に、重圧だったんだなあと申し訳なかったです。

 

10年前に肺がんの手術をした時に自分で葬儀用の写真を撮っていたとのことで、元気な頃の立派な遺影でした。